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本当にさようならお父さん

昨日、実家から遺体を運び出し、本日お葬式を行いました。その後、焼却場で遺体は遺骨になりました。

昨日、実家に横たわる父を業者の人と一緒に車に運び出したのですが、実家は店舗兼住居でとても狭いので、夜父親が横になっていたベッドで眠りました。そのベッドに寝てみたものの、父親との思い出が溢れてきて、左片麻痺になってから、このベッドで悔しい思いをしながら毎日寝ていたのだなぁと色々感じながら本日のお葬式を迎えました。

そして、お葬式で父の写真を見ると、私に話しているような気がして、もう涙が出てしまいました。母親は、最後に顔を見ながら、「本当に行くのね!お父さん!」と泣きながら言っていて、それもさらに涙が溢れてしまいました。

その後、遺骨になった父を見て、「本当にもう会えないんだな。本当にさようなら。今まで本当にありがとう。」という言葉を心の中で繰り返していました。

昼食を家族や親戚と食べたのですが、そこでは父親のエピソードを沢山出て、笑いながら、涙ぐみながら過ごしました。

息子の俺と兄にとっては、怖い父親でした。父親でありながら、いつまでも「男」でいた人でした。

高校のとき頭が良かったのに貧乏で大学に行けなかったと良く言っていました。高卒でも外車を売りまくり、大卒の奴に負けないほどの稼ぎをもらっていました。

しかし、営業所の所長が高卒の限界で、そこからは大卒の奴しか行けないという辛さを味わったとも話していました。

そのため、私達息子が大学に行けるのなら、学費は出してやるからな!と言っていた。

本当に良く覚えているのは、私がとある六大学に補欠合格をしていたことが、ある大学に入学金を振り込んだ後にわかったときのこと。

どうしよう、と父親に話したら、六大学のほうがいいに決まってるだろ!お金は気にすんな。と言って入学金を二重に払ってくれました。

こんなエピソードを、兄も親戚も母親も沢山話して、素晴らしい人だったと痛感しました。書くときりがないくらいにみんなが話してくれました。

男として恰好いい人でした本当に。

実家に運んだ遺骨、遺影を見て、もう会えないんだな。もう話せないんだなという気持ちになりましたが、不思議と穏やかな気持ちです。

本当にさようならだね。俺もこれからの人生を精一杯生きます。悔いのないように。

本当にありがとうございました。

では

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